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商業界の礎を築いた人々

商業界の礎を築き、戦後の日本商業において指導的役割を果たした4人の経営指導者とその言葉を紹介します。

倉本長治(くらもと ちょうじ)

1899(明治32)~1982(昭和57) 商業界初代主幹

店は客のためにあり。店員と共に栄え、店主と共に滅びる。

戦前戦後を通じて商業指導に尽力し、「店は客のためにある」という商人哲学を遺した。商業者は消費者に代わって商品を選び、仕入、販売するのだから、その対価として適正利潤を得るのは当然とし、また、商業者は消費者に対し公平公正であらねばならず、それが商業を成長させ、消費者の生活向上、社会の発展につながると主張した。これが江戸時代以来「士農工商」と卑しめられてきた商人たちに自信と勇気を与え、商業近代化の精神的原動力となった。

また、科学的な経営技術の導入を提唱し、スーパーマーケットやチェーンストアを日本に紹介し、従業員をパートナーと考える(店員と共に栄える)経営のあり方、正しい経営理念こそ成長発展の要諦(店主と共に滅びる)であることを説いた。その薫陶を受けた商業者の中から、今日の大チェーン、大手専門店経営者が輩出しており、日本の商業に巨大な足跡を残した。

1964年藍綬褒章、1970年勲五等双光旭日章受章。

倉本初夫(くらもと はつお)

1923(大正12)~2013(平成25)年 商業界二代目主幹

倉本長治の長男として東京に生まれる。東京大学文学部を卒業したのち、出版社勤務を経て、27歳で商業界に入社、月刊「商業界」を担当する。雑誌編集のかたわら、著書の執筆、海外のチェーンストアに関する専門書の翻訳も多数手掛けた。

1963年に月刊『販売革新』を創刊し、1972年には代表取締役に就任。その後も、『食品商業』『ファッション販売』など現在まで続く日本の小売業を代表する雑誌を次々に創刊し、出版事業を通じて高度経済成長期の日本商業の発展を支援した。

1988年には代表取締役主幹に就任。毎年、全国各地を講演して回り、生涯を通して「真商人道」を説き続けた。

「農商一如」を提唱し、農業と商業の連帯運動に力を注ぎ、(一財)食料農商交流協会理事長も務めた。

新保民八(しんぽ たみはち)

1901(明治34)~1958(昭和33) 年商業界主筆、のち副社長

正しきに依りて滅びる店あらば滅びてもよし。断じて滅びず。

倉本長治の盟友の一人。花王石鹸(当時)の常務取締役を務める傍ら、商業界の設立に参画した。青年期に神学校に学ぶなどキリスト教の影響を強く受け、消費者に対する愛情、公平・平等を旨とする正しい商い、商業を一生の仕事とし、全身全霊を打ち込む勤勉さを持つことなどを説いた。

講演中に激して聴衆に椅子を振り上げたとの逸話もあるほど、その熱く激しい講演は全国の商業者の熱狂的な指示を得て、戦後の商業近代化運動の精神的な牽引車となった。「正しきによりて滅びる店あらば滅びてもよし 断じて滅びず」は、幕末の国学者・平田篤胤の歌を本歌取りした新保の言葉で、今も多くの商業者に愛唱されている。

岡田 徹(おかだ とおる)

1904(明治37)~1957(昭和32)年 商業界社友

小さな店であることを恥じることはないよ。その小さなみお店を人の心の美しさでいっぱいに満たそうよ

戦前から戦後にかけて活躍した商業経営指導家。昭和28年、商業界ゼミナールに講師として初参加。商人の哀歓と経営近代化に乗り出す決意や情熱、悩みを生々しくとらえて、圧倒的な支持を得た。商業界ゼミナールでは「怒りの新保、泣きの岡田」と並び、称された。岡田徹の著作を基に倉本長治が編んだ「岡田徹詩集」は、商業界最大のロングセラーである。商業界会館1階エレベーター前の壁に彫られた「小さな店であることを恥じることはないよ その小さなお店を人の心の美しさで満たそうよ」は岡田の代表作。

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